攻めの棒化が無理すぎる

攻めの棒化が無理すぎる

 

全国2000万人の腐女子の皆さん、ご唱和ください。

 

攻めの棒化が無理すぎる!!!!

 

攻めを棒にしてはいけません、なんて道徳の教科書の3ページ目に書いてあるのだが、最近とみにそう思う。

受け(B)の人気>攻め(A)の人気のカプにハマっちゃったからかもしれない。

タイムラインを流れていくB受けのエロ妄想ツイートを見るたびちょっとモヤモヤする。

ねえ、Aは自分の意志でBを抱いてる?本当にAじゃなきゃだめなのかな…(スガシカオの歌詞みたいになっちゃった)

私だってBから入った人間だから偉そうなことは言えないけど、優しいAが鬼畜キャラみたいにされてるといい気分はしない。

ねー……しかもそのパロ必要ですかね……いやパロ自体は私も好きだけどさー……。Aはそんなところで盛らないと思うなー……アオカンが見たいの?そっかー……うーん……。

 

あと、攻めの棒化には受けのクソザコ化がしばしばついてくる。これも最悪。

曲がりなりにも成人男性で、なんなら攻めより強い受けが『Aがニヤリと笑った次の瞬間、天地が逆さまになって、俺は押し倒されていた。頭上で手首を抑えられ、抵抗できなくなってしま』っているのを見ると狼狽する。

無理と思う!!!!!!!!!!!!!!野暮言ってごめんね!!!!!!!!!!!!(脚とか使ってみるといいと思う!)

いやわかる。わかるんよ。攻めの必死な顔にときめいて身を委ねちゃうとかね、本当は好きだから満更でもないとかね、そういうのもある。わかるわかる。

でもなんかさ……本当に嫌がってて、なのに抵抗してないときもあるじゃん……それってなんか……ねえ?エロに繋げるためにキャラの何かが削られているのを見ると、悲しい気持ちにならざるを得ない。

 

でも多分、書いてる側はそんなつもり微塵もないのだ。

攻めを棒にしよう!と思ってる人なんてほとんどいないと思う。そして、それと同時に、受けと攻めを全く平等に愛せる人も、たぶん、そう多くはないのだと思う。

私だって平等に愛していると、胸を張って言えやしない。やっぱり受けは可愛い。(もちろん、攻めの方が好きって人もいると思う)

それは別に悪いことじゃない。BLとか関係なく、キャラに対する愛に偏りがあるのは当然だ。

じゃあ私たちはどうすればいいか。

せめて、両方を平等に愛しているふりをしようじゃないか。

「この攻めの雄顔、絶対受けを抱いて来たw w」っていう前に、「改めて攻めカッコいいなあ」って言やいいんだ。

ヤンデレ攻めに無理矢理されちゃって泣いちゃう受け可愛い」と「受けが好きすぎて思いつめてしまう攻め可愛い」は両立しうると思う。

そんな風にして、二人に想いを馳せることで、広がるものがあるんじゃないかと思う。カップリングを愛するって、多分そういうことだ。

彼らじゃなきゃダメなんです、って、胸を張って言えるようになりたいな。

 

 

でもお前、ビッチ受けに攻めを逆レイプさせるの好きだよな。って言われたら、まあ、なんも言い返せないです。

 

 

 

 

 

 

人生の実績を解除したい

彼氏が欲しい

冴えないオタクオンナを10年以上やっているが、最近とみにそう思う。
といっても好きな人間がいるとか、恋がしたいとかそういう思惑は一切ないのだ。

一言でいうのならば、人生の実績を解除してぇ~。

より正確に言うならば、今のうちに人生の実績を解除しておかないと一生無理な気がする~という焦り~。

現代日本において、異性と恋愛をし、交際をし、キスをして、セックスをして、結婚をして、家庭を築くというのは一種の実績のようなものだと思う。
それもやりこみ要素ではない。
ゲームで例えるのならば「四章をクリアした」みたいな一週目で知らない間に手に入っている奴。

無論、そんなことはないとおっしゃられる方が多いのだろう。
LGBTの割合は13%(今適当にググっただけだから違くても許して)、異性との恋愛を誰も強制しておらず、一人で生きていくことに今の世間は十分に優しい。
けれど染みついた価値観を変えることは難しい。反発は現状の裏返しだ。
私の友人たちはみな彼氏を作った。周囲を見渡せば一人身の人間の方が少ない。
私もそういうレールに乗って生きてみたい。でもびっくりするくらい人を好きにならない。

いっそのことレズビアンに生まれていればよかった。
わかんない、そうなのかもしれない。
女の子のことは好きだ。職場で斜め後ろに座っているショートカットの40代くらいの女性が、あまりにも日々美しいので『今日もお美しいですね』と言いたくて仕方がないのだが業務外で一度も喋ったことがないので難しい。
同性の友人のことはおしなべて愛しているし、彼女たちに彼氏ができると悲しい。どれだけ大好き一生一緒にいようね♡と言われたところで、彼女と付き合うのも結婚するのも私ではない。
でもこういう感情って女子にはありふれたものだと思う。恋愛感情とは別なのだろう。
あるいは、男ができた女に嫉妬しているだけなのかもしれない。

どうせなら機械で脳波か何かを読み取って『ビビビ アナタハ レズデス』とか言ってほしい。
例えインチキでもいい。身の振り方を何かしらで証明してほしい。
それならいっそ、私の出生の秘密(そんなものはない)を知っているミステリアスな美女(そんな人はいない)に「あなたは人の形をしているけれど、本当は人を愛する心を持っていないのよ」とか言われたいな。

誰か私の人生に折り紙をつけてください。

芥川龍之介の河童に伴う徒然なるうろんな思考、駄文、乱文、散文

大学の友人と芥川龍之介の『河童』を課題図書として読書感想文を書きましたので掲載します。

 

 

**

 

芥川龍之介の河童、と聞くと河城にとりを思い出す。
河城にとりというのは東方projectに出てくる河童のキャラだ。東方project(以下東方)というのは皆さんご存知かつてオタクに大ブームを巻き起こした同人ゲームだ。にとりの出てくるステージのBGMのタイトルが『芥川龍之介の河童』であり、三拍子調の特に人気の曲ではなかったか。
私にとって東方は、なかなかに思い出深いものである。
私たちが中学生のころ、ニコニコ動画は黎明期を迎えていた。東方ブームはこの、フラッシュに連なる希代の動画ブームに乗っかるような形で巻き起こったのではなかろうか。なんせ曲が良かった、東方に入った人間の多くはBGMのアレンジ音楽から入ったと思う。私も、屈指の人気曲「U.N・オーエンは彼女なのか」のアレンジボーカル曲から東方を知った。
当時私の友人にオタクとしての発育がはやい子がいた。彼女は、中学生には敷居の高い『とらのあな』で東方の原作を手に入れ、私たちにやらせてくれた。きまって、定期テストのあとだった。午前で授業が終わるので、そのまま食堂に行き小さな小さなノートパソコンで指を縮こまらせながらみんなで交代ごうたいに遊んだものだ。翌日のテストの勉強なんてやりもしなかった。やれよという感じだが、あいにく私は地頭がよかった。
誰かがプレイしている時、その周囲では、ポケモンブラック・ホワイトで協力プレイをしたり、あるいはお絵かきをしたりしていた。懐かしい、懐かしい……。
少しくすんでいるが、青春、に近しいものだったのだと思う。ああ、楽しかったなあ、あのころはよかった……。

さて皆様、こいつ全然読書の感想を書かねえなと思ったかもしれない。
さもありなん、私はたった今青空文庫で『河童』のページを開き、スクロールバーの小ささに「なっっっっっげ」と言って閉じたところである。読まねばならぬ。男Vtuber二人のゲーム実況を見てる場合ではない。あ、待って、今キッスしましたよね?視聴者には隠せませんよ。
わかった、読む、読むよ。
とりあえずさわりだけでも読んでみよう。

……

読んだ。
狂人の語り、という形らしい。狂人はいい。人を傷つけないかぎりは。
最近気付いた自分の癖なのだが、プリパラをはじめとする女児向けアニメで思考が狂ったハタチそこそこのTwitter上の女の子が私は好きだ。ピンとくるか?来ないよな。そういう子はだいたい僕っ子で、塩対応に見えて人懐こく、そこはかとなくメンヘラで、カルトにハマった人間特有の妙な思考の冷めを持っておりたいそう可愛らしい。かわいい写真をアップしたときに「かわいいね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とリプしたら「うるさくて草」などと返されると、そのくせ「○○さん(私)は写真あげるとリプくれるからかなりすき」とかエアリプ(※本人に@つきでではなく、タイムラインに流すような返信)されると、もう、メロメロになってしまう。
共感性の低いことを言ってしまったが、それらしく纏めるならば、『ひとと違う視点を持つひと』、というのはどうにも惹かれるものがあるということです。エモい、じゃないか。話し終えた途端にブチギレるの、まさにエモーショナルでしょ。

……二まで
このような書き方をしてもいいものでせうか。とはいえ、私も活字を読まなくなつて久しいので、長い文章を一度に読んだり書いたりするのに、大層な難儀をするのです。
なるほど、ファンタジー的だなあ。少し予想外のところである。今風にいえば異世界召喚なんじゃないか、これ。
異世界に行く話は古今に多数あれど、向こう側の文化に触れ、学ぶくだりが好きだ。ステータスが上がるシーンというか。言葉を覚えるシーンとかくどいくらいに書いてほしい。『大草原の小さな家』で家を建てたり、保存食を作ったり、生活レベルを上げていくシーンが本当に好きでそれ以降はあんまりだったことを思いだす。
そういう人は多いんじゃないか?Dr.stoneというなかなか売れてるジャンプの漫画があるのだが、あれに抱く感情も似たようなものだ。進化・変化という概念の面白さよ。我々は進化しなくなって久しい。
しかし、芥川龍之介の文章は読みやすいな。この時代の文豪特有の、キャラクターと作者の自我が入り混じるような語り口はよい。私は太宰治が好きだ。回りっくどい文章に妙なエロスがある。うつくしい。それに気付いたのは数ヶ月前なのだが、知り合いに「太宰治めっちゃ文章うまいね……」と日本にわかをさらしまくってしまった。こんなに文章うまいならそのうち教科書にも乗ると思うよ。

閑話休題

……六まで。
私事だが、おねショタ(おねえさんとショタの恋愛関係のこと)が好きだ。それと同じくらいにクソ女が好きだ。言葉が悪いな、性悪、悪女、ファムファタル、とか言おうか。その奔放さで悪気なく男を振り回す美しき人が好きだ。なので河童の習性にテンションがあがりました。以上です。

ああ、キャラクターが多い。
トツクって誰だっけなあ。クラバツクとロツクは世が世ならTwitterで「絶対付き合ってる。裏でセックスしてる。」って言われている。
私がトツクだと思ってたのがラツプだった。
あ。
トツクが死んだ。


読了


ここに至ってやけに展開が急だなと思われるかもしれないが、後半の難しいところをすっ飛ばしたせいだ。新聞のくだりとかよくわかんなかったんだもん。てへへ。
さて、これは感想文なので最後に総括としての感想を述べよう。
割と面白かったな~。
そういえば、私は文章からなにか知見を得ることがすこぶる苦手だった。事実しか追えないのだ。自己啓発本とか読めたもんじゃない。やめろ、書物のくせに私を啓発するな。
とはいえ、なんだ、それらしいことを述べることも出来るのだ。狂人の視点から河童の国という可笑しな異世界を描くことで、逆に今いる私たちの世界の正気度を問うているのだと思いました……。
でもこんなん感想じゃなくて後付けのありきたりな考察だし。答え合わせがてらWikipedia見たらほぼ同じこと書いてあった。そんな言葉にどれだけの意味があるのか。
私に言えることは少ない。旧仮名遣い故の不思議な単語の響きは好き、時折混ざる河童語はやはりリアリティがあって面白いよね、個性豊かな河童のやり取りは読みやすいなあ、職工を食うくだりは淡々と狂っていて好き、「夜目にも白じらと流れる嘔吐(へど)を」この一文綺麗、あっさりと地上に帰るのは淡々と国が滅ぶみたいだなあ、終章でこれまでの事細かな話が狂人の戯言として畳まれる演出、イイネ!そんなところだろうか。
これだって無理矢理ほじくりかえしたような感情だ、私の読み終わって一番の感想は「割と面白かったな~」というふんわりとしたもので終わる。その9文字を頑張って、頑張って膨らますために、わざわざ関係のない話をたくさんしているのだ。

でも、よくよく考えたら、示唆とか抜きにこの話が面白いのってすごくないか。調べてみたら今から90年前の作品らしい。
90年!
90年前のものが今でもきちんと面白いのだ。私たちは遠く、遠く過去を振り返るが彼らはたやすく私たちに追いついてくる。そう簡単に過去に置いていけるものか。

かつて、という単語を私は冒頭でいくつか用いた。
それらは過去だろうか?
私に東方を貸してくれた友人とは、ついこの前食事に行った(夏コミの折に、界隈では有名な愛昧亭うまみ先生という人のふたなり女子×男のエロ同人のおつかいを頼んでいたからだ)(黒ギャルものが大層良かったです)。そこで、今なお東方で同人誌を出している人の話をした。少なからずいるのだ。世界は滅んでなどいない。
東方の新作は8月に出たばかりらしい。次はまた冬コミで出るのだろう。12月は未来だ。
昔はよかった、などと人々は言う。けれど今だって何も変わってなくて、私たちの視界が狭くなっただけだったりする。
進化を忘れた私たちはかつてと連綿とつづいていくのだ。

エロと長編が書けない

腐女子なので推してる男と推してる男がイチャイチャする小説もどきなどをしばしば書く。

 

自分の書く文章がまあまあ好きだ。情景描写とか人物の描写に、推してる男のいる光景を美しく描いてやる……!という執念が見えて良い。オタクなので。

ネットに小説をアップすれば私からすれば十分すぎるくらいの人に読んでもらえて、有難いことにあなたの文が好きですとコメントをいただけることもある。

書き上がった小説は死ぬほど読み返して自画自賛するが、上手かと言われるとそうでもない。偏差値55、くらいだと思っている。陳腐な表現、指示語の多用、展開の荒さが目立つ。

いや、本当はそんなこと問題じゃないな。

私は「エロ」と「長編」が書けない。

 

女性向け界隈において、「R18」というタグはそれだけでぴかぴかと輝いている。

エロはいい。なぜなら解釈が違っていても、ストーリーがなくても、推しがエッッッッッッッッチだったらだいたい有耶無耶になるからである。

そして、これは私見だけど、女性は男性より長編が多いと思う。女性向けは漫画が多いが、男性向けは一枚絵が多い。なんでかはわかんないけど。

この二つを統合すると、女性向けで最強の作品が見えてくる。

 

「(それっぽいタイトル) 前編」 24581字

タグ [推しカプ名]* [R-18]* [続きを全裸待機] [ジャンル名をもじった腐向けタグ1000users入り] [涙で前が見えない] [続きを何卒・・・!] [1000点でも足りない]

キャプション 

ひょんなことからすれ違ってしまう二人の話。ちょっと無理矢理っぽい(後編はハッピーエンドになる予定です)

 

アアーーーー!!!!!!!!!(ついでに女性向けpixivタグあるあるを消化してしまいましたことをお詫びいたします)

 

こういう作品が来ると、私は「アッ来やがったな」と思ってしまう。おそるおそる読んで、めちゃくちゃエッチなのでアチャーっと額を抑える。これだけの分量を書く人はだいたい文章もうまい。タイムラインを見に行く。〇〇さんの新作上がってる!!!とみんな喜んでる。

やめろ、やめろ、やめてくれ、そんなんされたら絶対勝てない。

こんなふうに言ったら勝つために二次創作やってんのかと思われるかもしれないが、全くの否定はできない。勝つのが目的ではないけど、目標ではある。

私は誰より文章が上手くなりたい。万人に私の考えた最強のお話が届いて欲しい。私が作品を上げるだけで知らないどこかのタイムラインがざわついてほしい。気まぐれに、普段書かないジャンルにぽんっと大作を投げて界隈を蹂躙したい。

でも書けない。私にはそれをするだけの力がない。私に書けないものを書けるその人を、本当にすごいと思う。

私だって、書きたかった。

評価されるために書いてる訳では無い。書きたくて書いてる、それは本当。でも書きたくて書いたものが評価される世界であればそれが最高じゃん。私の書いた2000字のポエム崩れが持て囃されればいいのに!!!!!!

私は劣等感とプライドで出来ている。

 

こういうドロドロしたことを考えていると、オタク失格だなと自分で思う。文章がうまい人は、大体人の作品を上手に褒める。自分で書くより人の作品が読みたい!と楽しく仰られる。人のが見られるなら自分で書く必要ないのに、とか。

眩しい。

私は自分の矮小さに気付かされ、もう一度悶々とする。オタクをやるのは本当に楽しいのだけど、自分は性格が終わっているのだ。

こんなこと考えてるから、ろくな作品がかけやしないのだ。そのとおり!はやく解脱したい。

このどうしようもない感情を抜け出せたら、もう少し真っ当なオタクになれる気がする。

 

 じゃあそのためになんか努力してんのかって?なんもしてねえわバーーカ、だからカスなんだよ、この話終わり!!!!!!!!!!!!!!!!!!はあ……

「体重」に関して私は言いたいことがある

体重、という概念がある。

知らない人のために説明すると、生き物、今回の場合は人間の重さのことを指し、これが多すぎたり少なすぎると良くないとされている。

これについて思うことがある。もっと端的にいうと、モヤモヤすることがある。

といっても「『男性は女性の適正体重を知らない!』っていうツイートはよく見るけど、男性が女性の適正体重を見誤ってるツイートってあんま見ないよね」とか「『二次元の女の子の体重はおかしい!』というツイートをRTして『私これくらいだけどなー筋肉ないから……w』っていう女」とか、そういう話ではございません。もっと単純な話である。

 

人は体重を減らすために(Tips:体重が多いより少ないほうがいいとされる文化が存在する)ダイエットというものをしたりする。

私は消費カロリー>摂取カロリーなら問答無用で痩せるのではないか?とファミコン初期のダメージ計算式みたいな事を考えているのだが、どうやらそうではないらしい。もうちょっと複雑な、スーファミ後期くらいの計算式がそこにはあるのだろう。

でも、野菜とか豆腐とかササミとか、カロリー控えめのものを食べましょうねえという風潮がある。ローズクッキーなど以ての外だ。

カロリー、そう、カロリーである。

 

……カロリーって何?

 

食べ物にはカロリーというものがある。これがないと人は生きられないけど、取りすぎると太る。

でも、カロリーには(おそらく)重さがない。

???

さて、この世界には質量保存の法則というものがある。

ということは、だ。一キロの野菜を食べたら人の体重は一キロ増える。200gのステーキを食べたら200g体重が増える。

おや?後者の方がカロリーが高そうなのに前者の方が体重の増加が大きいぞ?これは一体どういうことなのだろうか。

モリモリ野菜を食べるよりも肉を食べよう。そうしよう。

……いや、待てこれがおかしいというのは感覚的になんとなく違うぞ。

 

よし、一つ仮説を思いついた。

野菜の方が体に吸収されずそのまま排泄される割合が多いから、肉の方が太るんだ!脂肪がつく、ってそういうことを指すんじゃないか?

……じゃあ、もしも。将来一滴で20000キロカロリー摂取できるようなウルトラハイパーパーフェクト栄養ドリンクが発明されたとする。

想像してみよう。食事という文化はなくなりみな毎朝一滴舌のうえにその液体を垂らすだけ。うわあ地獄。こんなディストピアはおそらくすぐに滅びてしまうので考えるのをやめよう。解散!

というわけにはいかないのでもう少しこの世界に留まっていただく。

女性の1日に必要なカロリーは、2000キロカロリーくらいらしい。明らかにカロリー過多だ。じゃあ、この世界の人々はどんどん肥え太っていくのか?

でも、1日1グラムくらいしか摂取してないのだ。太りようがない。だって質量保存の法則がある。月に30g、年に360gくらいは太るかもしれないけど。それなら摂取を週一にしてもいい。

そしたら、カロリーはきちんととってるのに太らない。

 

?????

 

こういうウルトラハイパーゴイスー栄養ドリンクは不可能だから、そもそもこの仮定が成り立たないのか?水を飲んだりするからそれをもとにして体重が増えるのか?そもそも、人がダイエットした時、その重量はどこに消えるんだ?寝て起きたら体重が減ってたりするのは何故?汗?汗だけでそんな減るの?運動したら体重減るのもおかしくないか?その体重はどこへ行ったんだ?カロリーって何?

わからない。考えれば考えるほどわからない。

あ~~っモヤモヤする~っ!

 

世の中にはこういう『感覚では受け入れてるけど、考え始めると理解できないこと』がたくさん転がっている。

 例えば目の前のパソコンの仕組みだってそうだ。0と1が云々、とかいうけどそもそもその入力ってどうなってるの?何がどうやって受け入れてるの?小さな妖精さんが中にいるんじゃないの?

多分ググれば解答は出てくるのだろう。Googleは世界で一番頭がいい、師の教えである。

でもなんとなく、それはしたくない。どういうことなんだろうと考えている時間も楽しいからだ。答えを知ってしまったら、そこで終わりだろう。

答えを知らない限り、目の前の機械の中に妖精さんがいる可能性は、潰えない。

 

 

ゼルダの伝説で自分の前世を知った

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドをここ最近プレイしている。

面白い。

「面白い!!!!!!!!!」という感じではない。あくまで「面白い」くらいがしっくりくる。

体感20%くらいクリアしたところだが、幸いまだ飽きていない。ゲームを積むようになったのはいつからだろう。なんとかクリアくらいはしたい。

 

面白いポイントはいくつかある。んだと思う。

その一つは世間一般でいうところの「自由度の高さ」というやつだ。オープンワールドのゲームをプレイするのは初めてだが、マップがとにかく広い。明確な道標もない。

はえっちらおっちら草原を駆け巡り、あちこちに点在する祠をめぐっている。100以上も祠があると聞いて、ファミマくらいあるやんけ!!と思ったが、デイリーヤマザキくらいの頻度でしか見つからない。それくらい、マップの方が広い。

そういったマクロの自由度と同様、ミクロの行動の自由度も高い。いろんなことが出来る。それがとても楽しい。

なんというのだろう。

「まあ、そうなるよな!」の快感がある。

 

例えば。焚き火のそばにりんごを置くと、焼きリンゴになる。

まあ、そうなるよな!

馬の近くに人参を手にして近づくと、馬がその人参を食べる。

まあ、そうなるよな!!

松明を持って草むらに入っていくと、バンバン燃える。木製の箱も燃える。武器も燃える。

まあ、そうなるよな!!!

愛馬マーリン(オタクなので名前入力欄を見ると反射的に推しの名前を入れてしまう)諸共古代兵器のレーザーに巻き込まれ、マーリンが死んだ。

まあ、そうな…………マーリン!!!!!

 

こういうことだ。(次に捕まえた馬にマーリン2ごうと名付けた)

別に誰も「火のそばに食材を置いてみよう!焼きリンゴになって回復量が多くなるぞ!」なんて言っちゃくれないのだ。

でもゲームを始めて最初、木から林檎をゲットして、焚き火のそばに焼きリンゴが転がっているのを見たところでハッと気付く。頭の中に浮かんだ(おやおやおやあ~もしかしてこの焚き火で林檎が焼けちゃったり~?)がマジになった瞬間、私は声を上げて喜んだ。

この世界の常識は自分の頭の中の常識に寄り添ってくれている。こうなるとマニュアルはいらない。私の頭の中に二十余年かけて積み上げられたものがある。それを元に、あらゆる試みが産まれる。

 

この常識というのは、けして現実の物理法則に完全に則っている訳では無い。

料理に疎く先日「ひき肉 ミンチ 違い」で検索した私ではあるが(一緒だった)、林檎を直火で焼くだけで焼きリンゴにならないことは何となくわかる。

主人公のリンクくんは、握力がえげつないので、切り立った崖をどこまでだって登っていける。スタミナが切れかけても、崖の中腹でムシャムシャ飯を食えば回復する。

これは、明確に有り得んだろ。

でも不思議なことに「ちょっとの段差も越えられない主人公」よりよっぽどリアリティを感じないだろうか?ポケモンの主人公とか、その程度の段差なんとか登れ!と思ってしまう。

不思議!

このあたりはリアリティと快適さを自分の中で勝手にチューニングしているのかな、とも思う。だって結局のところ、私たちは現実でできないことがしたくてゲームをしているのだ。

その架空の世界が一歩こっちに歩み寄ってくれると、こっちからも一歩踏み込みやすくて、こんな歳でも夢中になれてしまうね。

とりあえず、厄災ガノンくらいはなんとか倒したいと思います。

 

 ……あ、タイトルにした私の前世だが、多分放火魔だと思う。気付いたらゲームのスクショが橙と赤一色になってたので。

神の言葉

何か宗教を信じていますかと言われると言葉に窮する。神はいると思いますか、と問われたならば「いるんじゃないですか」ないしは「いたらいいですね」と答える程度には、そういうものを信じている。けれど特定の宗教に傾倒している訳では無い。

ああ、典型的日本人。

高校はキリスト教系だった。毎朝朝礼がわりの礼拝に参加し、賛美歌を歌っていた。週に2回聖書の授業を受けた。主の祈りは今でもソラで唱えられる。天にまします我らの父よ……。

とはいえ宗教的に厳しい学校ではなかった。数学教師はどこぞの寺の住職で、驚く程に眠気を誘う声で図形の"合同"と"相似"を教えてくれた。敷地内に小さな神社があって、おいなり様タイプのなんがしかが祀られていた。信仰の自由とか多様性は重要だが、もう少し一貫性を持てと言いたくもなるものだ。

そういえば、聖書の先生はレゴに似ていた。

そういうわけで、自分が何教徒かわからない。一時期「空飛ぶスパゲティモンスター教徒ですw」とか言おうとしてた時期があったけど、普通にスベってるのでやめてよかった。

だが、こんな私も一度だけ神の言葉を聞いたことがある。

 

高3の冬だ。当時私はミスドばっか食っていた。 図書館の隣にあったので都合がよろしかったのだ。受験生の私はたいそう真面目な努力家だったので毎日図書館の自習室で開館から閉館まで勉強をしていた。偉い!すごい!未来の天才!(いまや真面目なだけで褒めてもらえる時期を過ぎてしまったので多めに褒めておきます)

13時をすぎ、お腹も空いた私はその日もミスドに向かった。窓際のカウンター席でドーナツを食っていると隣の席に一人の男性が座った。おじいちゃん、というくらいの歳の男性だ。

「貴女は幸せそうな顔でドーナツを食べますね」

穏やかな声だった。自慢じゃないがヘラヘラすることにかけては右に出る者がいない私なので、幸せそうな顔でドーナツを食べていたというのは事実だったのだと思う。私はヘラヘラしたまま「ッス」と答えた。ヘラヘラするのは得意だが、人と会話するのは下手だ。ただの浮ついた奴である。

話好きなのか、突然話し掛けてごめんなさいね、という空気を出しつつも彼は穏やかな声で話を続けた。身の上話のようなものだった。昔は教師をやってたんですよ……などと。

私は「はあ」「へえ」と相槌を打ちながら聞いた。コミュ障は相槌も下手だ。「すごいですね」すら長すぎる。六文字て。

奇妙な空間だった。高い陽が大きい窓を透過してトレイに光を落とす。冬に日差しは眩しいのに熱くない。いつしか私はドーナツを食べ終えて、彼は話を終えていた。

「最後まで話を聞いてくれてありがとう。貴女は優しい人だ」

 褒められて悪い気はしない。ただ一方的に話されるのを聞いていただけだし。私は「はは……いやぁ……」とヘラヘラした。

男性が穏やかに微笑む。

「でもその優しさがいずれ貴女の身を滅ぼすでしょう」

私は絶句した。

通りすがりの預言者はそれ以上の助言をくれず、すっと席を立って店を出た。私はその言葉を処理できないまま、トレイを片付けて自習室に戻った。

 

思い出は以上だ。

後にも先にも、こうもきっぱりと自身の終焉を予言されたことは無い。

あれから数年経つが、今のところ自分の身が滅ぼされそうな経験は幸いなことにない。健康体そのものだ。だけれども少しだけ追加で生きてみて、要領の良さこそがその人を救いうることを知った。優しいだけの人はどうしたって割を食う。これは真理だ。

今でも時折考える。

まだ、終焉の時が来ていないということなのだろうか。いつかその時が来るのか。それとも、私の性格が本当はちっとも優しくなんてないからなのだろうか。だとしたらあれは忠告だったのか?もっと強かにひねくれなさいと。

あるいは。

あれはただのヤバいジジイだったのだろうか。